2010年07月07日
平成中村座!行ってきたよ!
平成中村座!行って来たよ!
見て!
この写真朝6時^^
ほらよく見てよ~!左下のバスタオル~これ私のです!
一番!
て何が~うふふ当日券に並んじゃったのよ!
しかも1番で!
それで桟敷よ~ん
やっとお逢いできました勘三郎様
昨日の月曜日予約も入らず、お仕事もお休みで、当日券あり!と聞いて
朝4時起きで飛んでいきました
8時半から整理券を出すというので6時に着いて誰もいない!
『やった』
私は生まれてはじめて並んで2時間半も待つって事を経験しました
大きなかばんの中は本やジュースやおにぎり
始めてなのに慣れたおばさんみたいにがんばったおかげて
本当に楽しい時間をすごさせて頂きました。
演目は『佐倉義民傳』
今の千葉県の佐倉という場所の名主『木内宗吾』が百姓一揆を止め私財をなげうって
百姓のために公方さまに直訴する。直訴は当時重罪で宗吾一家は幼い子供たちも残らず打ち首にされた。。というお話です。民衆が圧政に苦しんでいる中命も惜しまず立ち上がった佐倉宗吾には何か現代の混沌とした政治不信の世の中にもいてほしい人物として描かれていたと思います。
コクーン歌舞伎と言われ、松本芸術館官庁の串田和美の独特な感性と演出が見るものを引き込んでいきました。ラップという新たな音楽をこのお話の中にうまく組み込み、まるでそれが苦しい百姓の腹からの思いや声となり響いていました。
何よりすごいと思うのは江戸時代庶民のものだった歌舞伎はいつの間に特殊なひとたちのものなり一般庶民は敷居が高くなり見る機会もなくなりつつある中
歌舞伎のお話をあちこちでしている、てことです。少なくとも松本はそうです。
これからももっとそうなると思います。
松本にも同じ頃おなじようなお話がありました。
中萱村元庄屋多田加助が百姓一揆の先頭にたち悪政を正したと言われます。
しかしその後加助たちが勝ち取った覚書を藩側に奪われ加助と子弟を打ち首獄門に処されました。殺される時松本城をにらみつけ
百姓の最低の生きていける年貢「弐斗五升!!」と断末魔の叫びをしたと言われています。
これも民のため未来のために命を賭けて戦った人の実話です。
私の母は幼い頃からよく中萱・加助のお話をしてくれました。
母のおばあちゃんは庄屋さんでそのご先祖様は中萱・加助と同士でいっしょに一揆を戦ったというのです。おまえたちにはそういう正義の血が流れているんだよ。と話してくれました。
きっと母も母のお母さんにそう言って話を聞かされたのでしょうね^^
そして母のお母さんも。。
これを機会にまた好きなお芝居を見に行きたい。。と思いました。
そしていつか勘三郎様がものぐさに来てくれますように
中村座へ行かせてくれたものぐさの親仁にも感謝
見て!
この写真朝6時^^
ほらよく見てよ~!左下のバスタオル~これ私のです!
一番!
て何が~うふふ当日券に並んじゃったのよ!
しかも1番で!
それで桟敷よ~ん
やっとお逢いできました勘三郎様
昨日の月曜日予約も入らず、お仕事もお休みで、当日券あり!と聞いて
朝4時起きで飛んでいきました
8時半から整理券を出すというので6時に着いて誰もいない!
『やった』
私は生まれてはじめて並んで2時間半も待つって事を経験しました
大きなかばんの中は本やジュースやおにぎり
始めてなのに慣れたおばさんみたいにがんばったおかげて
本当に楽しい時間をすごさせて頂きました。
演目は『佐倉義民傳』
今の千葉県の佐倉という場所の名主『木内宗吾』が百姓一揆を止め私財をなげうって
百姓のために公方さまに直訴する。直訴は当時重罪で宗吾一家は幼い子供たちも残らず打ち首にされた。。というお話です。民衆が圧政に苦しんでいる中命も惜しまず立ち上がった佐倉宗吾には何か現代の混沌とした政治不信の世の中にもいてほしい人物として描かれていたと思います。
コクーン歌舞伎と言われ、松本芸術館官庁の串田和美の独特な感性と演出が見るものを引き込んでいきました。ラップという新たな音楽をこのお話の中にうまく組み込み、まるでそれが苦しい百姓の腹からの思いや声となり響いていました。
何よりすごいと思うのは江戸時代庶民のものだった歌舞伎はいつの間に特殊なひとたちのものなり一般庶民は敷居が高くなり見る機会もなくなりつつある中
歌舞伎のお話をあちこちでしている、てことです。少なくとも松本はそうです。
これからももっとそうなると思います。
松本にも同じ頃おなじようなお話がありました。
中萱村元庄屋多田加助が百姓一揆の先頭にたち悪政を正したと言われます。
しかしその後加助たちが勝ち取った覚書を藩側に奪われ加助と子弟を打ち首獄門に処されました。殺される時松本城をにらみつけ
百姓の最低の生きていける年貢「弐斗五升!!」と断末魔の叫びをしたと言われています。
これも民のため未来のために命を賭けて戦った人の実話です。
私の母は幼い頃からよく中萱・加助のお話をしてくれました。
母のおばあちゃんは庄屋さんでそのご先祖様は中萱・加助と同士でいっしょに一揆を戦ったというのです。おまえたちにはそういう正義の血が流れているんだよ。と話してくれました。
きっと母も母のお母さんにそう言って話を聞かされたのでしょうね^^
そして母のお母さんも。。
これを機会にまた好きなお芝居を見に行きたい。。と思いました。
そしていつか勘三郎様がものぐさに来てくれますように
中村座へ行かせてくれたものぐさの親仁にも感謝
Posted by ものぐさのそば at 02:54│Comments(0)